「白の時代」とは
モーリス・ユトリロ(1883年-1955年)は、パリ、モンマルトルの街並みを描いた画家である。
作品は約6000点に及ぶという。中でも1909年から14年頃の「白の時代」の評価が高い。
その名の通り、教会や小路などを描いた白を基調とする画面からは、静謐さと、そして、何とも言えない寂しさを感じる。
この時代、ユトリロはアルコール依存症に苦しんでいた。10代からずっと酒に溺れていたのである。
ただ、酒に溺れるのには理由があった。ここで、モーリスの生い立ちから、白の時代までを見てみたい。
それが、あの「白」を理解するよすがとなると思うのである。
私生児としての出生
彼の母親はスュザンヌ・ヴァラドン。パリで画家のモデルをしながら、奔放な恋愛遍歴を重ねていた。
モーリスを産み落としたとき、スュザンヌはまだ18歳だった。
彼女自身が18年前にそうだったように、モーリスは父親のいない私生児モーリス・ヴァラドンとして生を受けた。
スュザンヌはモーリスを自身の母親に預けると、ルノワール、ロートレックなどのアトリエでモデルをするとともに、自身も画家になるべく、デッサンに励んだ。
だが、幼いモーリスにとって、この母の不在は、深刻な愛情の欠如を生むことになる。モーリスは不在であったがゆえに、母親を一層理想化し、神聖視するようになっていったのである。
その後、中学を退学すると、職を転々とし、やがて生涯の宿痾であるアルコール依存症に陥ることになる。
医師の薦めで絵を描き始めると、やがて、2歳年下の画家志望の青年アンドレ・ユッテルと出会い意気投合する。
のちのスュザンヌの夫である。
ユッテルをスュザンヌに紹介したのはモーリス自身だった。次第に、ユッテルはモーリスを撒いて、スュザンヌと逢瀬を重ねるようになる。
モーリスは唯一の友人を失ったことに、いつ頃気づいたのだろうか。
母ヴァラドン、友人ユッテルの2人が結婚したのは、白の時代の終わりとなる1914年のことだ。
第一次成果大戦が勃発したこの年、ユッテルは従軍している。モーリスも兵役を志願したが、医学的理由から兵役を免除になった。
「白の時代」は豊饒な時代で、作品は数百点に及ぶという。
ただ、彼にとって、それが幸福な生活の結果だったのかと言えば、それはまた別の話だ。
確かなのは、この時代の作品が持つ孤独の色彩に多くの人々の魂が揺さぶられるということだけである。
モーリス・ユトリロの作品が見られる日本の美術館
西山美術館
ロダンとユトリロ作品の専門美術館。ユトリロ作品は50~60点を常時展示している。他にも世界の銘石も鑑賞可能。7000坪の敷地の庭園内に立地しており、つつじや梅、桜など、四季折々の植栽を楽しむこともできる。
休館日:月・火曜日(祝日・振替休日は開館)
※ 年末年始のほか、整備休館など臨時に休館及び開館することがあります。 住所:東京都町田市野津田町 1000
TEL:042-708-2480 ホームページhttp://www.2480.jp/
公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
年中無休(ただし展示替のための臨時休館あり)
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
TEL:0460-84-2111
ホームページhttp://www.polamuseum.or.jp
【参考文献】
モーリス・ユトリロ展(2010年)展覧会カタログ
TOKYO美術館2013-2014(2012年)枻出版社