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私の絵は純粋か―佐伯祐三とパリ

「アカデミック!」

佐伯の絵を見るなり、ヴラマンクはそう大声を発したという。

この激しい否定に合って、彼は「自身の絵」の探求をはじめることになる。野獣派を代表する画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪問したのは、1924年。渡仏してから、半年あまりが過ぎた頃だった。

彼はそれから暫くまるで自分の内奥を見つめるがごとく、自画像を何枚も描いている。そのうちの1枚は顔が削り取られているが、画家としての在り方を模索し、答えが見い出せない―そんな心情が窺える絵だ。

佐伯はヴラマンクやユトリロの影響を受けながら、やがて自身の作風にたどり着くことになる。

ただ、その代償は文字通り生命だったと言っても良いだろう。

常軌を逸したの制作への集中から、再起不能なまでに身体を壊し、病褥を抜けだした佐伯は自殺を図る。一命は取り留めたが、エブラール精神病院に収容され、やがて息を引き取った。

享年30。

短い生涯を走り抜けた画家の作品には、その生命そのものが込められているように思えてならない。

ここで、佐伯の人生を少し振り返ってみたいと思う。

佐伯祐三 立てる自画像(1924)

佐伯祐三の生涯

佐伯祐三は1898年(明治31年)、大阪に生まれた。生家は浄土真宗本願寺派房崎山光徳寺で、父親の佐伯祐哲は14代住職にあたる。府立北野中学校時代には野球部の主将を務めたが、従兄の浅見憲雄に感化され、音楽や絵画にも興味を抱く。中学4年の頃には、梅田で洋画塾を開いていた赤松鱗作に絵画の基礎を教わり、1917年に上京。川端画学校で藤島武二の指導を受け、翌年には東京美術学校に入学することになる。1923年には東京美術学校を卒業するが、この間に銀座の象牙細工貿易商の娘である池田米子と恋愛結婚して下落合にアトリエを新築している。娘の彌智子を授かったのも、この時期のことである。

 

新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館-新宿歴史博物館 (regasu-shinjuku.or.jp)

東京からパリへ

東京美術学校を卒業後、先輩の里見勝蔵などを追って、パリに渡る決意を固める。渡航の準備が整った矢先、9月1日には関東大震災が発生したが、米子が「総て若い情熱がさせた随分乱暴な出発」と回想するとおり、その困難を乗り越え、11月26日には神戸港を出港し、パリに向かった。パリに到着したのは翌1924年1月3日。冒頭のヴラマンクとの邂逅は、里見の紹介によるものだった。

独自性を求めての彷徨

ヴラマンクとの出会いの後、佐伯の絵の描き方は変わった。米子によると、一枚の絵をじっくり描く方法から、一気に描くようになったのだという。1925年以降はヴラマンクを彷彿とさせるパリ郊外の荒々しい風景から、パリの街並みにモチーフが変化する。これはユトリロの影響が大きいが、パリの古い家の壁、煙突、広告などが激しいタッチで描かれており、ユトリロの叙情性とは一線を画した佐伯独自の絵画となっている。1926年3月に帰国後、パリから先に帰国していた里見勝蔵、前田寛治、小島善太郎、木下孝則と佐伯の5人で「一九三〇年協会」を結成し、第1回展(1926年5月)を開くなどの活動を展開したが、パリへの憧憬はやみがたく、1927年8月には再びパリの地を踏むことになった。

パリからモラン、そして再びパリへ

4カ月間、パリの街並みを描き続けた佐伯は、1928年1月8日付の手紙で「まだまったくアカデミツクである事を日々なやんでいる」と記している。いかにヴラマンクの言葉が佐伯に影響したのか、窺い知れる手紙だと言えよう。佐伯は田舎の風景を描くべくパリから電車で約1時間のモランでの制作に没頭した。厳寒の2月、このモランでの屋外制作は、佐伯の結核の進行を確実に早めることになった。佐伯は学生時代から喀血があったとされ、若くして父や弟などの相次ぐ死に直面したことから、友人に三十を過ぎたら俺は死ぬと冗談めかしてよく言っていたという。

もしかしたら、佐伯はもう二度と日本に戻れないことをどこかでわかっていたのかもしれない。再び渡仏し、作品制作に心血を注ぐも、満足のいく出来栄えとはならず、焦りばかりが募っていく。やがて経済的にも困窮し、30歳と4カ月という短い生涯を駆け抜け、力尽きた。

生前、佐伯は友人によくこう尋ねたという。

「この絵は純粋ですか」

彼の望む答えはわからない。

ただ、その鮮烈で純粋な生涯にどこか羨望の眼差しを向けたくもなるのである。

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【参考文献】                                       大阪新美術館建設準備室 読売新聞大阪本社企画事業部 企画・編集『佐伯祐三とパリ ポスターのある街角』(2013)読売新聞大阪本社

佐伯祐三の作品が見られる美術館

アーティゾン美術館

佐伯祐三のアトリエから程近い、ポール・ロワイヤル通り周辺のカフェを描いた作品《テラスの広告》(1927年)などを所蔵。

開館時間

10:00 〜 18:00
祝日を除く毎週金曜日は20:00まで
  • 入館は閉館の30分前まで

休館日

月曜日
祝日の場合は開館し翌平日は振替休日、展示替え期間、年末年始など

アクセス

〒104-0031 東京都中央区京橋1-7-2

交通案内

JR東京駅(八重洲中央口)、東京メトロ銀座線・京橋駅(6番、7番出口)、東京メトロ・銀座線/東西線/都営浅草線・日本橋駅(B1出口)から徒歩5分

入館料

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