―突然彼は、「放蕩」という言葉の意味が分かったような気がした―稀薄な空気のように消えて無くなること、有を転じて無となすこと。真夜中も過ぎた刻限に、店から店へはしごして廻るということは、すなわち人間の身体が大きな距離を移動するということに過ぎず、動作を次第に緩慢にすることが容認されるにつれて、そのために払う金額が次第に増大してゆくというだけの話なのだ。
「バビロン再訪」スコット・フィッツジェラルド
大金を払って、残るのは後悔ばかり。
酒を飲んでの失敗が全くない人も珍しいというのは、少し言い過ぎだろうか。
厚生労働省によると、アルコール依存症者の潜在的な人数は57万人と推測されている。言わんや、酒を飲んで失敗した経験を持つ人間となると、その数倍はいると考えてもあながち間違いではないだろう。
かく言う私も酔っ払って、あらゆる物をなくしてきた。帽子、眼鏡、ネクタイ、鞄、靴(片方だけだ)、携帯電話、財布……。下着をなくしたこともある。その時ばかりは記憶がないことがありがたかったが、飲んだ翌日の自己嫌悪から逃れたいがために、いつしか、酒を飲む=記憶をなくすということが常態化するようになった。
平日はほとんど飲みに行っていたから、ここ15年間に関しては、過去が欠落していると言ってもよいくらいだ。
「酒をやめる」―二日酔いのたびに、そう決意してきた人もきっと多いに違いない。
中には本当に「断酒」という手段を選択する人もいる。インターネットで検索すれば、ブログやSNSで断酒生活を発信している人々を見つけることができるだろう。それらを見てみると、身体の不調の解消や余暇時間の創出、出費の低減といったメリットを挙げていることが多い。ただ、酒を通して、人間関係を構築してきた人もいて、それが失われる寂しさを感じる場合もあるようだ。
断酒の効果
実はこの文章は一ヶ月近く断酒をして、再飲酒してしまった後に書いている。
たった一ヶ月でも健康、金銭、仕事といった面で十分に効果を感じられたし、何より、自分がなぜ深酒をするようになったのか答えを探す時間が持てたことは大きかった。
きっかけ自体は、失恋、環境変化、人間関係など色々とあるが、要するに感受性を鈍磨させる必要があったということだと思う。冒頭引用したバビロン再訪に「どんなに無茶な形でばらまいたように見える金でも、一番記憶にとどめる価値のある大切なもの(中略)これをあの頃は、思い浮かべまい、忘れていさせてくれと願いながら、運命の神に捧げた金であった」という一節がある。
生きていく上で、傷つきやすい心を持っているのは不都合な時もある。忘れさせてくれと願うのは仕方のないことだ。
だが、何も感じまいとしている間に月日は流れ、最近の出来事より、深酒をはじめる前のことのほうを鮮明に覚えている現状はさすがに不味い。人生100年時代に早くも余生でもあるまいし、今この瞬間を心に刻みつけて生きていきたいではないか。
また、スリップ(再飲酒)することもあるかもしれないが、今後も断酒にチャレンジしていきたいと考えている。
【参考文献】
スコット・フィツジェラルド著 野崎孝訳(1990)『フィツジェラルド短編集』新潮社
「広報誌『厚生労働』2019年5月号」 日本医療企画(編集協力:厚生労働省)
倉持 穣 著 (2019)『クリニックで診るアルコール依存症 減酒外来・断酒外来』 星和書店