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国宝「羽黒山五重塔」への道程―宿坊「宮田坊」

山形への旅

秋日照りの中、山形県を旅した。

山形市内から新庄を経由し、酒田、そして最後に鶴岡に寄った。3泊4日の旅程である。

旅の初日、山形駅前の小料理屋で飲んでいると、店の女将が「酒田は商人のまち、鶴岡は武士のまち。人の気質もぜんぜん違う」と熱っぽく語る。

調べてみると、両市は羽越本線で40分足らずの距離にある。酒田の相馬樓で竹久夢二の作品を鑑賞後、女将の言葉を思い出し、急に鶴岡に行こうと思い立った。東北唯一の国宝、羽黒山の五重塔を見てみたくもあったのである。

宮田坊へ

酒田を発ったのは15時を過ぎた頃。

鶴岡でその日の宿を決めて、翌日の予定を考えるつもりでいた。ところが、到着してみると、宿がない。

あれこれ手を尽くしたが、どこの宿もいっぱいで、ダメ元で駅近くの観光案内所を訪ねた。

すると、出羽三山神社近くに相当数の宿坊があるという。ただ、流石は歴史ある信仰のまち。宿坊の多くは「一見さんお断り」なのだそうだ。ここならと紹介されたのが、「宮田坊」だった。

恐る恐る電話をしてみると、夕食がいらないのであれば泊まれるとのこと。市内からはバスでおよそ3、40分。最終バスに文字通り飛び乗って、宿坊に向かった。道すがら調べてみると、宮田坊は古くから三山信仰者の参篭所としての役割を果たしてきただけあって、早暁の護摩祈祷による厄除けが受けられるらしい。強行軍で各所を回ってきた身としては、風呂が温泉なのもありがたかった。前もって予約すれば、精進料理も食すことができるそうで、この時ばかり自身の無計画を悔いた。

宿坊で主人に案内された部屋で、腹を空かして寝そべっていると、戸を叩く音がする。開けてみると、主人がこぶし大の握り飯を置いた皿を持って立っていた。

急なことで夕食の用意はできなかったが、よかったらと渡されたそれの美味いこと、うまいこと。心も腹も満たされて眠りにつくことができた。

翌朝、出がけに一言、主人に昨晩の礼を伝えたかったが、月山登山について尋ねる宿泊客の応対で忙しそうで、とても割り込めそうになかった。その会話で月山神社の閉山祭が9月15日、つまり今日であることを知った。

どうりで、宿が取れないはずだ。

奥さんが姿が見えなくなるまで手を振って送ってくれ、ますます気を遣わせてしまったことが申し訳なく思えたが、しばらく歩いていると、なにやら後ろから呼び止める声がする。振り返ると自転車に乗った宮田坊の主人で、見送れなかったため、追ってきたという。周辺の地図をこちらに手渡しながら、このあたりで何か困ったことがあったら、連絡をくれとだけ言い残し、宿に戻っていった。

国宝羽黒山の五重塔と金字の御朱印

やがて、羽黒山一の坂上り口の杉並木の合間から五重塔が姿を現した。

平将門の創建と伝えられ、高さは29m。現在の塔は約600年前に再建されたもので、東北最古の塔とされる。内部を覗くことができるほか、御朱印も頂戴できる。毎月15日は御朱印が金字になるとのことで、期せずして、それを得ることができた。

羽黒山五重塔の御朱印 15日のみ金字となる  筆者撮影
羽黒山五重塔の御朱印 15日のみ金字となる  游人撮影

羽黒山は二の坂、三の坂と続き、参道の石段は2446段にもなる。一つふたつしか見つけられなかったが、石段には蓮の花、ひょうたん、盃などが、33個描かれているらしい。

図柄を全て探しながら登るのも楽しいだろうし、三山すべての山頂を目指すのも良いだろう。

山形の地域における気質の違いは最後まで判らずじまいだったが、出会った人々が、皆優しかったことだけは確かである。

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