富士登山へ
富士山山頂を目指したのは、かれこれ9年前になる。
あまりに有名で、日本人にとって親しみ深い山―富士山。
が、ゆえにその厳しさを知らなかった。
本格的な登山は、これがはじめてだった。
もちろん、ひと通りの装備は揃えた。雨具や登山靴、ザックなど。
しかし、今振り返ってみれば、日本一の霊峰を制しようという心構えが全くなっていなかった。
富士登山4度目という友人が同行していたことも大きかったと思う。
彼が、急激な高低差がなく身体に優しいという理由で御殿場ルートを選択した時も何の疑問も覚えなかった。
富士山頂に向かうルートには、主に「吉田ルート」、「富士宮ルート」、「須走ルート」、「御殿場ルート」の4つがある。
この中で標高差、距離ともに最長のルートが御殿場ルートである。
過酷な御殿場ルート
年によって変動はあるものの最も登山客が多い吉田ルートに比較して、御殿場ルートは10分の1程度の登山客しかいない。それが理由なのか山小屋も一番少ないルートになる。
利点もある。標高の低いところから少しずつ登っていくため、高山病のリスクは最も低い。登山客も少なく、混雑しない。
ただ、初心者向きではない。
登山口を出発したのは、11時頃。見渡す限り濃霧で、足元は砂砂利。足が砂に埋まって、うまく進むことができず、文字通り、閉口した。3歩進んで2歩下がるとは言わないが、1歩は下がっている感覚だった。
やがて、雨が降り出した。
諦めて下山してくる人々とすれ違うたびに、後を追うか悩んだ。
雷鳴が横から聞こえてきた時には、進むのも地獄、戻るのも地獄といった高さまで、登ってきてしまっていた。
「山小屋まで登るしかない」
そう覚悟を決めたものの、やはり遅々として歩みはすすまない。周りは相変わらずの濃霧だ。
登山では、美男美女だろうが、お金持ちだろうが、頼れるのは自身の脚と意思だけなんだということを痛感させられた。大自然を前にした時の人間存在のなんとちっぽけなことか。
17時頃、ようやく八合目の山小屋に着いた。夕食に供されたカレーの旨いこと、うまいこと。
しばし、疲れを癒して、ご来光を見るため、真夜中に出発した。暗闇だったが、登山客のヘッドライトが連なる姿にどことなく安堵を覚えたものだ。
富士登頂と浅間神社奥宮御朱印
しかし、ようやく到着した山頂は大雨。ご来光なんて、あったものじゃない。
なんとか火山灰混じりの押印が特徴の浅間神社奥宮の御朱印を頂戴したものの、心身共に疲れ切っていた私は、力尽きて土産屋の軒先に座り込んで寝てしまった。
もう一刻も早く下山したい気持ちになっていた。
どのくらい、寝落ちしていただろうか。
眼が覚めると、雨が止んで、青空がのぞいていた。
山の天気のなんと変わりやすいことか。
現金なもので、いきなり元気を取り戻し、お鉢巡りまでして、帰路に就いた。
下山時の大砂走りの爽快さといったらなかった。まるで、浮遊しているようで、おそらく登りの半分の時間も
かかってはいなかったのではないだろうか。
「富士山に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」とは江戸時代の言葉だが、時が経つとまた登ってみたいと思わせるから、不思議なものだ。
やはり特別な魅力を持つ山なのだろうと思う。