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プーシキン「スペードの女王」書評

自制心の強い主人公

『スペードの女王』(1834)はロシアの国民的詩人アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・プーシキン(1799-1837)の晩年の代表作である。
野心を秘めた工兵仕官ゲルマンが、賭けトランプ必勝の秘札を手に入れようとして破滅するストーリーは広く知れ渡っており、筋の違いはあるが、チャイコフスキーによるオペラによってその名を知っているという人も多くいることだろう。

当初の彼は自身を厳しく律しており、仲間のトムスキイらがかるたに興じる中で、賭け勝負に熱い視線を注ぎながらも、自身の境涯を見据えて、決して手を出そうとはしない。作中の以下の部分はその人柄を端的に表わしている。

ゲルマンは、ロシアに帰化したドイツ人を父として、わずかながらその遺産をうけ継いでいたが、不羈独立を標榜している彼は利子などは当てにせず、俸給だけで暮らしを立てて、いささかの気紛れにも心を許さなかった。(中略)彼は裡に激しい情熱と燃えるような空想を有していながら、堅固な意志の力で、世の常の青年客気の迷いには陥らずにいた。たとえば、彼が心からの賭博好きでありながら、まだ一度もかるた札に手を触れないのは、『余分な金を手に入れようとして、入用な金を投げ出す』ほどの身代ではないと、口にも出し、また自分にも思い込んでいたからである

プーシキン著 神西清訳(1967)『スペードの女王 ベールキン物語』岩波書店 p.24

この強い自制心は、「倹約、節制、勤勉、これが俺の三枚の勝ち札だ。これこそ俺の身を築き上げるどころか七層倍にもして、安楽と独立をもたらすものなのだ」 というある意味健全な思い込みをその源泉にしている。

しかし、トムスキイの祖母である老伯爵夫人がその昔、かるたでオルレアン公と争って、散々な負け方をしたにもかかわらず、サン・ジェルマン直伝の秘札で負けを取り戻したという逸話を聞いて、「一枚一枚と張りながら、ぐんぐんと倍賭けにして行くと、おもしろいほど勝ちはなして、金貨をかき集めたり紙幣をポケットに押し込む」 といった夢を見るまでに変貌を遂げる。

ゲルマンの変貌

老伯爵夫人のもとに殉教者のごとく仕えるリザヴェーダ・イヴァーノヴナを籠絡し、伯爵夫人の部屋に忍び込むと、かるたの秘札を得んがために、銃で脅し、ついには夫人を死に至らしめる。
ゲルマンの心を張り裂けんばかりにするのは、騙され後悔に咽び泣くリザヴェーダでもなければ、息絶えた老媼でもない。自分に巨万の富を与えるはずだった秘伝が永遠に失われたという事実だけである。

『スペードの女王』は表面的には品行方正な青年が、賭博の魅力に幻惑され、破滅する話のように見える。しかし、ゲルマンの「財産を築くことによる安楽、独立」=「幸せになる」という目的が作中一貫している点を忘れるべきではない。彼はそのために自らを律して倹約、節制、勤勉に励み、一方で、人を殺めてまで、かるたの秘札を手に入れようとしたのである。

その強烈な目的意識に支配されている間は、月の裏側のごとく表出することがなかったのが、倫理的側面である。確かに、秘伝が失われたときには、巨富の夢が潰えた衝撃から、老伯爵夫人の亡骸も、哀れなリザヴェーダも、ゲルマンの心に影響を与えることはなかった。だが、その後も罪の意識から逃れられたかと言えばそうではない。彼は老婆殺しと繰り返し叫ぶ声をおさえることができずに、老伯爵夫人の葬列に連なり、酒をあおることで、内心の疼きを鎮めようとする。

今さら、何もなかったように「倹約、節制、勤勉」を良しとする道になど戻れるはずもないのである。
やがて、良心の呵責に悩むゲルマンのもとに老伯爵夫人の幻影が現れる。夫人からかるたの秘伝を授けられるとともに、その殺人の咎をリザヴェーダと結婚することで赦すとも伝えられるわけだが、このとき既に彼は発狂していたのかもしれない。

ゲルマンは、老伯爵夫人とリザヴェーダに対する罪の意識からの解放を望んでいた。幻影は彼自身の贖罪の意識の投影であり、失われたはずのかるたの秘札を得ることで、ゲルマンは再び財を築くという強烈な目的意識のもとに身を置いて、良心を責める内なる声から一時的にも逃れようとしたのである。
実際に、「『三』、『七』、『一』を順に張れば勝つ。但し、夜に一枚しか張ってはならない」という秘伝はゲルマンに次のような影響を与える。

精神界に二つの固着観念の共に存し得ぬのは、あたかも物質界に二つの物体が同時に同じ場所を占め得ぬと同断でもあろうか。やがてゲルマンの心には『三』、『七』、『一』が広がって、亡き伯爵夫人の面影を蔽い尽くした。『三』、『七』、『一』は瞬時も彼の脳裡を去らず、絶えずその唇を漏れた

プーシキン著 神西清訳(1967)『スペードの女王 ベールキン物語』岩波書店 p.54

最後に夢破れてスペードの女王がほくそ笑むとき、ついにはその一時的な猶予も終わりを告げ、既に精神の均衡を崩していたゲルマンが表出することになるのである。

終わりに

われわれ自身も確たる地盤に打たれた杭のごとき頑強な精神を保っているわけではなく、常日頃から自身すらも容易に欺き、信じたいものを信じようとする。
誰もが、いつでも、幻視の世界に迷い込む危うさを孕んでいるわけで、情報が氾濫し、個の確立が叫ばれる現代のほうが、より魔性の笑みに出会う機会は多いように思うのである。

参考文献
プーシキン著 神西清訳(1967)『スペードの女王 ベールキン物語』岩波書店
水野忠夫編(2009)『ロシア文学名作と主人公』自由国民社
藤沼貴、水野忠夫、井桁貞義編著(2003)『はじめて学ぶロシア文学史』ミネルヴァ書房
浅岡宣彦(1978)「スペードの女王におけるゲルマン像」『一橋論叢』第80巻第5号 日本評論社 pp.626-643
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