谷崎潤一郎が近代日本文学を代表する作家であることは論を俟たない。
執拗ともいうべき女性崇拝やマゾヒズムによって、初期には耽美的、悪魔的と評され、一方で、方言や俗語を駆使した高い水準の作品を産み出した。源氏物語の現代日本語訳も良く知られるところである。
作風の違う多くの名作を残した日本画家、速水御舟に「梯子の頂上に登る勇気は貴い、さらにそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つものは更に尊い」という言葉があるが、谷崎もまた、労苦を厭わず、熱情をもって新たな梯子を登った人物だといえよう。
では、多様な文章を著した谷崎の言語に対する美意識はどのように醸成され、また、それは如何にして、発露したのだろうか。
その一端は「文章読本」で窺い知ることができる。同書を谷崎は「いろいろの階級の、なるべく多くの人々に読んで貰う目的で、通俗を旨として書いた」としたが、文中で「文章に実用的と藝術的の区別はない」と明記しているとおり、谷崎の文章藝術を知る上で、欠くことのできない資料となっている。
確かに内田百閒や丸谷才一の指摘するように、文法認識としては誤りである部分も多くある。
谷崎自身も「専門の学者や文人に見て頂けるような書物でない」と断りを入れているが、だからこそ、微に入り細を穿った文法論に陥ることなく、「極めて根本の事項だけを一と通り説明」(同書)した内容になっているのである。
小林秀雄はこの本を「(谷崎)氏の精神の言葉への服従記」と評した。作家が当初言葉を征服しようと試みて、言葉に服従するようになるという前提からの批評だが、谷崎自身も言葉が思想を一定の型に入れてしまう危険性について言及している。
谷崎は同書を記した際には既に多くの秀作を世に出していた。こうした状況下で、自身の作品における文章表現を顧みて、その根底たる美意識を改めて「言葉」という型に入れて伝達しようとしたのではないだろうか。
希代の小説家の記した、文章を書こうという人にとって必読の書である。